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B内なる目覚め 「自分」との漢字は、「自らを 刀で左右に切り分けて 内側を見て 分けを知る」の意味である。 中国では、3000年もの昔から、自分の存在理由を知る事が、課題と成っていた様である。 インドの釈迦よりも早くから、答えは、自分の内側に在る理を知っていたのだ。 釈迦は「頼れるのは、この自分の肉体だけだ。」と謂っており、火や香等を焚いたり、儀式等を行う事を止めて、静かに、自分の内側を見詰める様に説いている。 自分の肉体の内側にこそ、36億年の遺伝子情報が、蓄えられているのである。 その遺伝子の情報の記録こそ、自分の存在理由を証してくれるのである。 だからこそ釈迦は、瞑想を勧めたのだ。 瞑想とは、何かの出来事を期待する事ではなく、静かに瞑目する事で、自分の意識の中に、生命の情報が蘇って来るのを待つ行為である。 それは、何かの期待心があっては成らない。 何かの、目的や期待があれば、それこそが自我意識として働いて 記憶再生の邪魔となる。唯一、自分の脳裏に浮かんでくる映像の、処理をして行くだけである。 その処理が 上手く進めば、138億年前の光りの誕生と、宇宙の創生までもが記憶として蘇ってくるのだ。 138億年遡れば、自分が光であり、宇宙の全ては、自分が生み出した化身である理が解り、36億年遡れば、生命は皆、自分と同根である理が解るのである。 それが解脱であり、解脱とは 自分の存在理由が皆解き明かされて、無明から脱する事である。 解脱とは、全ての柵(しがらみ)が解ける事なので、解脱した者を解(ほど)けた者として「ホトケ」と呼ぶようになっている。ホドケ者が、ホトケ者と成って、覚者(佛陀・ブッダ)の呼び名と成ったのだ。 ブッダと成るには、内側の自分を、見詰めるしかないのである。 それが、内なる目覚めである。 自由となり、休息をして、内なる自分に向かうのだ |
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