アインシュタイン博士の『E=mc2 質量はエネルギーである。』を、百姓風に考えれば、『食物はエネルギーである。』となり、

其の食物とは、太陽エネルギーを生命エネルギーへと変える植物(葉緑素と呼ばれる微生物)の働きによって、固体化(無機質から有機物)された物質であり、又、其の循環の内に依存する動物などである。

植物は、太陽エネルギーから生まれる第一次元的食物であり、魚・鳥・獣は、第二次元的食物であるので、太陽エネルギーに近い植物食の方が、光の源に近く、生命力豊かで光輝性が強いのである。

私達人類を含む地球の生命体は、光(エネルギー)の化身として生きている。人間の源を辿れば、宇宙源初からの光の形態の一部である事が分かる。

私達人類は、車がガソリンを燃料として動いているのと、同じ仕組みの動物版であるのだ。故に、其の燃料に不純物が混入していては、内燃機関が性能低下を招くのである。


生命力(電圧力)豊かに生きる為には、完璧な自然体系の内で育った食物を、摂取する必要がある。

一番良いのは、身土不二の原則に則り、身近な土地の山野草や、根や実を食べる事であるが、現代社会ではそうも行かないので、

出来るだけ自然に近い状態で栽培された作物と、其れよって養われた動物を食べる事が大事である。


上記の事を頭に置いて、私個人の体験に基づく現時点での説明をしてみたいと想う。

【要点】

1.太陽エネルギー(光の法則)に一番近く、太陽エネルギーをいかに最大限に生かせるかが、一番重要な理である。

2.ガイヤ理論でも言われているが、微生物活動を熟知しなければならない。(微生物活動は、空気と水のバランスによって千差万別に種類・活動・内容は変化する。)

3.自分の身近に、季節のモノサシになる畑を持つか、他人の畑でも見つけて四季の移り変わりを知っておく事が大事である。

(これによって、買物をする時の季節判断が出来る。現代では、交通・冷凍技術・ハウス栽培が発達しているので店先に旬がない。)

【栽培地】

1.出来るだけ住いの近くが良い。朝夕の散歩で行けるし、回数が増える事で、作物との一体感が楽しめる。

2.東南か南東向きが良い。午前中の紫外線の方が有害菌の殺菌力があり、人間の体にも活力が溢れる。

3.面積は、畳み一枚分からでも出来る。

【栽培方法】

1.雑草は最大の味方である。

イ).地上部の茎・葉は、太陽エネルギーを有機物に変換する生産工場であり、地面に直射日光が当たって土が乾いたり、微生物が死ぬのを防ぐ役目をし、天敵の住家ともなる。

刈って地面に敷けば、地面を保護し、微生物の餌になり肥料になる。

ロ).地下部の根は、地面を軟らかくし、水分を蓄え、雨によって土が流失するのを防ぎ、腐れば肥料になる。

ハ).土が肥沃になれば、ハコベ・ナズナ・アカザなどの、食べられる野草が生える様に成る。


2.不耕起を原則とする。

イ).土は耕す程、日光に晒される事に成り、微生物が死んで堅くなる。裸地は、雨が降ると土と養分が流される。

ロ).一度、栽培畦120cm巾を造り、歩く溝を30cmくらいに決めておけば、毎年その畦に栽培する事が出来る。

ハ).台所の生ゴミや、庭木の選定で出る葉、草刈りなどで出る有機質は、何時でも畑に持ち込み、溝や作物の間に敷物とする事が出来る。

ニ).一度に機械で耕す事が無いので、一年中何時でも作物の種蒔きや苗の定植が出来、又、種々様々な作物が混ざったままで育成手入れが可能であり、少しでも隙間が有れば、何かを植える事が出来る。

ホ).農具は、草刈り鎌・鋸鎌・移植ゴテが有れば良いので機械類は要らない。

(最初の畦を造る時は、鍬かスコップなどが必要であり、面積が広い場合はトラクターか耕転機を、其の時だけ頼めば良い。)


3.作物

ィ).近くの園芸店やスーパーなどで、ポット植の苗が出ている時に、苗を買って来て、夫々の作物に適した間隔で植える。

ロ).園芸店に売っている種子100円〜400円を買って来て、一度に蒔かずに、少し時期をずらして蒔く。一度に全部蒔くと、収穫時期が一度になり、家族では食べ切れない場合が有る。

また、自分で採取した種の方が、其の土地に合った品種・性質と成り、丈夫で病気にも強くなる。

ハ).地面に直蒔きすると、草と見分けが付き難いので、出来ればポットと床土(種蒔き用土)を手に入れて、ポットに種を蒔き、ある程度の大きさに育ってから、畑に移植すると良い。

この場合は、ポットの水掛けに注意が必要である。

ニ).作物は、日光が当たる事が一番大事なので、作物が雑草に負けない様に、草が作物より大きくならない内に、常に草を刈り取る必要が有る。

鋸鎌で、茎と根の間から切り取り、刈った草は敷物とする。

4.無農薬

イ).害虫を殺す為に農薬(毒薬)を散布すると、天敵(害虫を食べてくれる虫)まで 殺してしまうので、害虫が減る事がなく、永久に薬を散布し続けなければならない。

ロ).農薬は毒薬であり、虫が死ぬと言う事は人体にも害が有る。虫が寄り付かないのは、食べれば死ぬからである。虫も食べない物を食べる人間は、虫以下の生物と言わなければならない。

ハ).農薬は、大地に染み込んで地下水や河川に流れ出し、いずれは人間の口に返って来る。「天に唾する者は・・・」である。

ニ).地力が有り、土地が健康でバランスが良ければ、作物は生命力旺盛で、病気にも虫にも負けないで丈夫に育つ。その様な、生命力豊かな作物を食べてこそ、人間も強い生命力を保つ事が出来る。


自然とは、神そのモノであり、釈迦の説いた「法・ダルマ」であり、老子の謂う「道・タオ」であり、イエスの「私自身・神の身」である。

自然の法則に従ってこそ、幸福であり、健やかであり、安心立命である。その境地に立ってこそ、自然の循環を観る事が出来、自分の身を任す事ができる。

人間の正しい暮らしとは、自然の循環に身を任せ、自然な物を食べ、体のバランスを保ち、其処で生じる思念に因って衣食住を定める事である。


此の完成された境地に因る、価値判断に基づく「政府・経済・教育・文化」でなければな成らない。

是を説くのが宗教であって、本来宗教などとの格別なものは必要ないのであり、其れは夫々の地に生活する、民族の風習・習わしの模索の方法論にしか過ぎないのである。

人類が、宇宙に旅立つ事に拠って理解した理・ことは、人類とは地球人であり、地球に生きてこその生物であり、他の星に行っても、地球人としての幸福は無いと言う事である。

だからこそ、我々は、此の神の最高傑作である地球を大事にし、自分が神の創造物として、光輝せねばならないのである。


人と猿の遺伝子は98%が同じであり、残り2%が、人と猿の違いであるそうだが、2%の差は何なのか。

形態は別として、猿の行動は自然から食物を取るだけだが、人間は大地を耕し、自らの手で種を蒔き、作物を栽培し、仲間の数を増やし、言葉を発達させ、文字を使って情報を伝え、文明を築いて来た。

其の結果が、今日の状況である。


今日迄の事は、すべてO・Kなのであり、其れは神の計画なのだから、人間に罪など無いのである。だが、明日はそうではない。他人の行動は関係なく、自分自身がどのように生きるかなのである。


其の1つの方法が、もう一度、自分の手で、1個1粒の種を蒔き、芽の伸びる姿を見つめながら、大事に育てる事である。

其の持続性の行為にこそ、生命の原点の気付きが有り、私達の求めているモノが有るのではないか。


其処にこそ、仏陀の枯華微笑の神髄が有る。

-1995年7月-




なぜ自然農法か