今年の夏は、大潮の毎に5〜6日間は磯物捕りをしている。

磯物捕りは、私にとって一石四鳥の意味を持つ。

第一は、運動不足に成りがちな私は、3〜4時間の磯歩きは、丁度良い体力増進に成る。数kgの荷を腰に着け、泳いだり、崖を登ったり下りたりしていると、結構な運動量に成るのだ。

第二には、私は、屋久島の成り立ちに興味を持って、仲間と地層研究会を催しているので、島中の海岸の地層を調べて回る事と、兼ねて出来ることに成る。

第三は、食糧の足しになり、磯物を差し上げた人から、野菜等を貰うので、随分助かっている。

第四は、最初に言った様に、お世話に成った方々への贈り物に使えて、喜んで貰っている事である。


屋久島で捕れる貝は、アサリやハマグリ等の砂浜で捕れるものではなく、岩場で捕れる巻き貝類等で、普通の商店に出回るだけの量が捕れないので、珍しいからである。

岩場で捕れる貝は、昔と余り変化は無い様だが、水中に潜って捕るトコブシの方は、激減している様である。原因は、トコブシの食料と成る海草が、減った事に有る様だ。

海草が減った原因は、島で使う除草剤や、家庭排水の化学洗剤だと言う説などが有るが、定かではない。


屋久島に、飛魚が産卵に来なくなったのも、海草が無くなったからだとも言われている。

確かに、私が、磯物捕りで岩から岩へ渡る時に、水中眼鏡を掛けて海の底を見ていると、昔の様に海草が長く伸びて、ユラユラ揺れている場所が無い。


30年位前までは、海底を視ると、海草が揺れていて、長く其れを見詰めて居ると、船酔いを起しそうな気分に成る事があった。


伊勢海老が、塒・ねぐらの岩穴に帰らないで、海草の中に隠れて休んでいたりしていたし、モハミ(ヴダイの一種、藻食み)も群で藻の中に隠れて出入りしていたので、

揺れる海草の中を、銛・モリを片手に狙ったりもしていた。

其れが、モハミの数も極端に少ないし、居ても藻が生えていないので、隠れる場所が無く、追い掛けると自分の住家にまで、逃げて行き、岩の下から出て来ない。

モハミだけではなく、餌が少ない所為か、伊勢海老も昔の10分の1程も居ない様である。


30年程前には、結婚したばかりの妻を連れて、魚釣りに行き、妻が伊勢海老を何匹も釣り上げて、新聞のコラムに載った事があった。

伊勢海老を釣り上げたのは妻だけで、私の針には一匹も食い付かなかったのである。


後で、其の原因を良く考えて見たら、妻は釣が不慣れなので、水中の深さが判断出来ないから、糸を深く下していて、餌が岩の上に乗っかっていたのであろう。

餌を探しに、群で遣って来た伊勢海老が、其れを次々に食べて、釣れたものと想われる。

私の釣り糸は、水中の中間に有るので、伊勢海老は届かなかったと考えられる。


其の場所は、現在の空港が有る早崎の下だが、現在は海底が真白に磯焼けしていて、何も海草が生えていないし、割目の伊勢海老の巣を覗いても、一匹も住んでいない。


屋久島は、日本一 魚の種類が多く、580種が数えられるとの事だが、種類は多いとしても、魚影は極端に少なくなっている事は間違いない。


私達が子供の頃は、貝を捕る為に、海底の石を引っ繰り返すと、ベラ類が20〜30匹は直ぐ集まって来て、舞い上がる餌を食べていたものである。

2メートル程の長さの竹竿で、川エビや、ヤドカリの身を釣り針に付けて、べラ釣りをすると、子供でも20〜30匹は直ぐ釣れていた。


現在は、同じ状態でも数匹しか集まって来ない。夜、岩の隙間で眠るベラ類は、伊勢海老の餌に成っていたのではないだろうか。


海の中も、食物連鎖で成り立っている。

海草が生えなくなって、小魚が産卵できなくなり、べラの餌も無く、ベラ類が滅びれば、伊勢海老が減り、伊勢海老が減れば、其れを大好きな蛸も減ってしまう。


陸上の生物は、人間の目に触れ易いので、保護は比較的に遣り良いと想うが、海の中は、誰かが潜り続けて観察しなければ、絶滅していても、気が付かない事になる。


私達の子供の頃は、村の何歳か年長の子供が、年下の子供に釣や、貝捕りを、手取り足取り教えてくれたが、現在の子供達は、其れらの遊びが少なく成っている。


私が45年ぐらい前に、遊んでいた同じ場所を見ると、岩は昔のまま動かずに、同じ場所に、同じ姿形で、在り続けている。

しかし、其処には、嘗ての私達の様な子供の姿も見受けられず、水中にも昔の豊かさは無い。

あの頃の、海の豊かさは、私達の脳裏にしか残っていないのだ。


私の、56歳の磯物捕りの遊びは、一石四鳥に、もう一つ、海の思い出と観察が加わる事に成るが、何かの復活の手段が見付かれば、六羽目の鳥を得ることに繋がるのだが、

今の私には、具体的な良い方法が見付からないので、一石五鳥で止めて置こう。

-2003年5月-





海の変わり様