日本特有の文化に「ジャンケンポン」が有る。此のジャンケンでの決め事ほど、公平なものは無いと私は思う。両手の無い人でも、口で云えば可能だし、身分の上下や職業の違い、男女の別も無いし、年齢の差さえ越えている。


道具も必要ではないし、天気にも左右されないジャンケンは、良い事尽く目である。欠点を上げるとすれば、体制の内で生活している者が、自分の優位を守れない為に、大事な場では使わない事ぐらいである。


「パー」は「グー」に勝ち、「グー」は「チョキ」に勝ち、「チョキ」は「パー」に勝けれども、「パー」は「チョキ」に負け、「チョキ」は「グー」に負け、「グー」は「パー」に負ける。

ジャンケンは、どれかには勝が、どれかには負ける様に成っている。此の3つの仕組みを、誰が考えたか分からないけれども、最初に考え付いた人は天才である。


是と似た様な世界が、海の中にも存在する。

私は、屋久島で生まれ育ち、37歳まで島で暮らして居たので、屋久島の自然は良く知っている。ある日、ジャンケンの事を考えていて、海の生き物の関係に、同じ様な仕組みが有る事に気付いた。


海に潜って、伊勢海老を捕って居ると、直ぐに、ウツボが遣って来る事に気付いた。ウツボが、何をしに来たのか観て居ると、伊勢海老を食べに遣って来たのではなく、何かを探して居るのである。

其れが、どうしてなのかを考えて居て、気付いた事は、ウツボは伊勢海老を食べに来たのではなく、人間に銛で突かれて傷付いた伊勢海老の身体から流れ出した、体液の臭いを嗅ぎ付けて、

蛸・タコが伊勢海老を食べて居ると勘違いをして、急いで遣って来たのだと判明した。


伊勢海老の天敵は、「蛸・タコ」と「烏賊・イカ」である。特に蛸は、伊勢海老にとって大の苦手である。烏賊は、岩穴の中までは入って来ないので、日中と月夜に穴の外に出なければ良いのだけれど、

蛸は夜でも穴の中まで遣って来るので、蛸の姿を見ると瞬間に逃げ去ってしまう。

蛸の手足は、どんな狭い穴の中までも、細く長く伸びて入って行く。其の手に掴まってしまうと、引き寄せられて食べられてしまうのである。


伊勢海老にとって、蛸は絶対絶命の相手であるので、伊勢海老は行き止まりの穴には絶対に住まない。だから、条件の良い伊勢海老の住処は、空家に成る事はない。

住処から、伊勢海老を捕ってしまっても、1ヶ月後には、再び別の力の強い伊勢海老が、其の穴に陣取っている。そして、其の様な伊勢海老の住処の近くには、ウツボが住んでいるのである。

何故かと謂うと、伊勢海老の住処の側に住んで居ると、大好きな蛸が伊勢海老を食べに遣って来るからである。


是で解かる様に、ウツボにとって蛸は大好物なのである。だから、俗に云われている「蛸は 自分の足を食べる」と言うのは嘘であり、天敵に食われてしまったと謂う事であり、蛸は敵に手足を食われても、

トカゲの尻尾と同じで、再び生えて来る様に出来ているのだ。


ウツボは、伊勢海老の穴に入ろうとしても、伊勢海老の尖った角で、目を突かれるので、伊勢海老には手が出ないらしい。

伊勢海老は、天敵の蛸からウツボに守られ、ウツボは伊勢海老の御陰で、蛸を食べられる様に成っているのである。


「蛸」は、「伊勢海老」を餌として、「ウツボ」は蛸を餌としている。そしてウツボは、死んだら伊勢海老の餌と成るのである。


この様に、海の中でもジャンケンポンは毎日繰り返されているのだ。


-2000年3月-





海の中のジャンケンポン