遺伝子・DNAは、記憶・情報のシステムだと解ってきた。

遺伝情報とは、環境が変化して生物にストレスが起きた時、新しき環境に適応する為に、自分の肉体情報を組み換えて変化した、記憶の集合であると言う事である。


環境に合わせると言う事は、其の環境情報を読み取るセンサーを持っていなければならない。其れに、自己認識の画像と、変化の目的・目標の画像を組み込む能力を必要とする。


例えば、ジャングルに住む蝶の仲間で、羽に大きな目玉の図形を持っている種が居る。それは、自分を狙う鳥を脅かして、自分の身を護る為に用意した、智慧だと言われている。


此処で不思議なのは、自分が鳥に食われる立場である理・ことを、蝶が自覚しており、自分の敵である鳥の性質まで知って、鳥の立場から、自分の背中の図柄を見ている事である。


つまり、地上に止まって居る自分と、木の枝に止まって居る敵である鳥の意識まで、自分の意識の範疇にして居るのである。其の、空間の捉え方の能力には、驚きを隠せない。


昆虫は、人間と違って、家族や家庭も学校も無い。誰に習うでもなく、卵から孵って、自分の智慧だけで、生命を真っ当して行く。其の驚くべき能力は、小さな脳だけで、出来る事ではないだろう。

細胞一個一個が、自分の役目を認識していて、脳は、その集合機能として、働いているに過ぎないのではないだろうか。


人間の場合は、大脳新皮質が出来て、言葉を創りだし、文字を使って文明文化を興して来たので、他の生き物とは異なつた世界を創り出し、自然の生き物とは違った世界に住んで居る。


人間は、自分が何分の一かは動物であり、自然の一員である事も忘れて、やれ I・Tだ、芸術だと騒いでおり、自分の生命の営みに、意識を向ける事が無くなつて来ている。


そういう人々は、今の文化や文明が、エネルギーを失って消えた時、もう生きて行ける能力はないだろう。

其処には、頭の中が真白になって、生きる為の画像が無く、一歩も歩けない人間が、蝉の抜け殻の様に、猿科・人類種が立ち眩んでいるだけである。


-2004年8月-





遺伝子は画像を抱えている