日本国に、最初漢字が導入されたのは、何世紀なのだろうか。


佛教は、中国の「鳩摩羅汁・くまらじゆう」が、401年から長安で漢字に訳してから、日本に伝わったものだから、日本に漢字が伝わるのに大きな役割を果たしている事には間違い無い。

聖徳太子(574〜622)が、摂政として政治を行なう時には、漢字は、政治を行なうのに、なくては成らない物と成っている。


しかし漢字が一般化するまでには、長い年月が掛かっている。

其の間に、漢字の意味を正しく理解していない人達が、無理に漢字を使用し、大和言葉に当てたので、至る所で漢字の意味と、大和言葉が食い違っている。


特に地名などは、漢字の意味を解からない者が、勝手に当て字を使っているので、本来の地名が持っていた意味が、汲み取れなく成っている。

地名には、読み方の解からない当て字が沢山有るので、日本人を始め、日本を訪れる外国の人にとっても、真に迷惑な話でもある。

地名だけではなく、日常よく使う言葉にも、漢字の間違いが沢山有る。


例を挙げると、「知」と「考」の文字の意味が逆に成っている。

知の漢字の意味は、「矢+口」の組み合わせで、「矢を神に預けて 神の言葉を受ける・知らせを受け取る。」の意味だから、大和言葉の「神返る」の「カンカエル」である。


一方「考」は老と同じく、年取った人の姿の象形で、「長生きをして 様々な体験を積んでいるので、色々な物事を知っている。」との意味である。

だから、考の文字の方が「しっている」の意味に近いのだ。


長寿の老人は、「思慮深い」の意味が本来の意味なのである。大和言葉の「よくおもう・考」の意味が、

反対の「頭を空にして 神の知らせを受け取る」神返るの「知」と逆に使用されているのだ。

智慧の「智」は、【知+曰(曰く)】で、神に知らされた事を、他人に口を開けて伝える意味である。


昔し、言葉が何を意味するモノなのかを、能く解からない人達が、勝手に漢字を取り入れたので、大和言葉も混乱を起こし、本来の言霊を失ってしまったのだ。

その所為で、神との正確なコミュニケーションが行なわれなく成っている。


中国の漢字も、人間と神の交流の為に創られた物であり、本来は呪術に使用された物である。漢字の始まりは、亀の甲羅を火で焼いて、出来たひび割れの形を、占う事から始まっている。

だから、一番古い漢字は「甲骨文字」と言う。其れから「金文」となり、「篆文」と成って「現代文」と成って来ている。


だから、漢字を使って、言葉の力を得ようと想えば、漢字の持つ本来の意味に立ち返らなければならないし、又そうしなければ、神の力を動かす事は出来ない。

現在、神社やお寺で貰うお札も、余り効き目が無いのは、お札が印刷された物でもある事と、手書きのお札でも、

書いている人の頭に、文字の正しい意味が映り出されていなければ、エナジーが動かないので、貰って来てもあまり効果が無いのである。


昔は、一生懸命修行をした人が、波動や、意味を込めて書いていたので、其れなりの効果が有ったのだ。

文字と人間の関係は、現在よりも、昔の方が深かったと言える。


「愛」や「優」の文字も、正しく解釈している人は少ない。本当に意味を理解していれば、

現在の世の中の様に、簡単に「愛」や「優しい」の言葉は使えないはずだからである。


今一度、言葉や、文字の意味を、確かめる必要が有るだろう。


-2005年7月-





漢字の導入