忘れては成らない言葉

今日は、全国で、老人を敬う行事が行われている。

私は若い頃、老人の昔話を聞くのが好きで、よく島の隠居を訪ねていた。

そのお陰で、現在、余り使用されなくなった言葉を知っている。


言葉は、人間の意志を伝えるものだが、中には、大きな意味を含んでいるものが有り、人間が忘れては成らない価値観が伝えられている。其れ等の中から、幾つかを選んで、取り出してみようと思う。


一、血の巡りが悪い


血の巡りが悪いとは、ただ血液の循環が悪いとの意味ではなく、頭脳の働きが悪い事を言い当てている言葉である。

現代では、医学の発達で、脳が活発に動く時は、酸素を脳が必要とする理は解明されている。しかし、それは近年の事で、昔は他の事柄で、血液が濁れば脳の働きが悪くなる事を知っていたのだ。


血液が濁れば、顔色は悪くなり、唇の色も鮮やかさが失せて、腹は脹れ、身のこなしも鈍くなり、全てのスマートさが消えてしまう。

現在の中年男性に、この様な人間が増えた事は、食物の質の悪さにも因るが、「血の巡りが悪い」との言葉が使用されなくなった為に、認識が出来なくなった所為であろう。


大人社会に、この認識が無い為に、子供達の食生活も乱れ、益々血の濁りを深くしている。血液は、細胞の元であり、精子や卵子の元でもある。血の濁りは、遺伝子まで劣化させてしまうのである。


二、気が利く


「気が利く」とは、「その場に応じた 適切な判断が素早く出来る。心が行き届く事。」(広辞苑)であるので、「血の巡りが悪い」の反対の意味を表している。

英語の「スマート」とは、体付きも、身のこなしも、物言いも、三拍子揃った人の様子を言うらしい。


自分の事だけではなく、他人の事にまで目が行き届き、行動が出来る人、それが気の利く人であり、スマートな人間である。


三、目から鼻に抜ける


「目から鼻に抜ける」とは、「すぐれて賢いこと。また、ぬけ目が無く、敏捷なことの形容。」(広辞苑) と載っており、目から鼻に抜けるとは、気が利くの一段上の段階を言い表している様に想われる。


○物事を視るのに落ち度が無く

○敏捷とは、スマート以上の速度を加えてある。


現代社会には、その様な人はなかなか見付からない様である。

目から鼻に抜けるとは、目で見たり 耳で聞いた事が、間を置かず、理解され、目に現れ、呼吸に通じる事である。


その現象は、鼻の病気の蓄膿症とは反対の処を言い表している。蓄膿症の人は、物覚えが悪く、理解速度が遅い事が知られている。

蓄膿症の人は、甘い物が好物で、砂糖を取り過ぎるので、血液が酸化して血の巡りが悪くなり、鼻の細胞が爛れ、空気の通りが悪くなるので、

冷却が効かず、脳に通う血液が冷やされず、脳の働きも鈍ってしまうのである。


甘い物を多く取り陰性体質に成ると、体ばかり大きくなり、「大男総身に知恵が回りかね」と悪口を言われる様にもなる。


此処で、辞典には載っていない屋久島の言葉を一つ挙げると


「あやが 引き切れる」が有る。


「あや」とは、自分の想いや、努力の事で、それが続かずに切れてしまう事を、「あやが切れた」「あやが引っ切れた」と言う。

「あや」とは、漢字の「文」を当てるが、漢字の「文」は、人の形の胸の部分に、自分の想いを文字にて入れ墨をする事を意味しているので、日本の「あや」と、漢字の「文」の意味している処は、共通していると言えるだろう。


自分の大事な想いを、念じ続けて行く事は、忍耐力が必要とされ、体の健康も大事である。胸に印象を刻む事は、自分の想いが、他の力に影響されて変化する事を防ぐ方法でもある。


人間が、自分の念いを一生変えないで生きて行く事は、根性が強くなければ出来ない事である。其の為には、自分の體を強靭に保たなくてはならない。その為にも、食生活は重要な位置を占めている。


現代社会は、文明は進んだが環境は悪化している。段々と、食物の力も弱まって来ているし、體が喜ぶ食物が少なくなっているのだ。


最後に「顎が落ちる」との言葉を解釈してみよう。


「顎が落ちる」とは、「味が非常にうまいことの形容」と広辞苑には載っているが、今の若い人達には、何の事だか分からない様である。

私達の子供の頃は、何か美味しい物を食べると、ホッペタの所がジーンと痺れて、直ぐに自分の手を当てていたものである。

大人に成ってから、其れが何故起るのかを調べたら、顎に有る唾液腺から、急激に唾液が放出される時の、痛みに因る現象だとの事が判った。


現代の人達に、その言葉が通用しないのは、味覚が落ちたからなのか、美味な物が増え過ぎて、唾液腺が反応しなくなったのか、食物自体に力が無いのか、

其れとも、私達の子供の頃の様に、空腹感に満ちてから、食べる事が無いからなのだろうか。


飽食の時代と言われ、食物は手を伸ばせば何時でも手に入る時代と成った。しかし、其れに反比例して、言葉の質は落ちて行き、力を失い、意味を失って行く。

言葉が真意を失った時、文化も意味を伝えられなくなり、人間の魂も地に落ちてしまうだろう。

何処かの地域で、正しい言葉を伝え残さなければ、人間の積み上げて来た歴史も無意味なものと成ってしまいかねない。

少数の人達でも集まり、子供達に言葉を伝え残さなければ成らないと想う。私達が老人に成る時、語り部の舞台として、日当たりの良い縁側が与えられるであろうか。


○血の巡りが悪い → 良い

○気が利かない → 効く

○目から鼻に抜ける

○あやが切れる

○顎が落ちる


其れの言葉は、人間の生活や、行動に直接結び付いている言葉である。そしてどの言葉も、食物に関係がある。食物が悪くなる程、それらの意味も傳わらなく成って行くであろう。


私は、屋久島の人達が傳へてくれた言葉から、実に多くの事を学んでいる。

「敬老」とは、これらの事柄も含んでいるのではないだろうか。


-2005年9月-